2016-03-31 第190回国会 参議院 内閣委員会 第7号
P社のと言ったってすぐ分かってしまうかもしれませんけど、この間辞めたKというこの人は、十年間、そのP社の都市対抗野球の選手として出ていて、三時ぐらいまでしか仕事をやっていないですよ。その後、野球の練習やるわけですよね、野球の練習するわけですよ。その人は最終どうなったかといったら、専務まで行ったと思いますよ。
P社のと言ったってすぐ分かってしまうかもしれませんけど、この間辞めたKというこの人は、十年間、そのP社の都市対抗野球の選手として出ていて、三時ぐらいまでしか仕事をやっていないですよ。その後、野球の練習やるわけですよね、野球の練習するわけですよ。その人は最終どうなったかといったら、専務まで行ったと思いますよ。
年に一度の社会人野球の祭典、都市対抗野球では、選手の滞在費、交通費に加えて、応援団も借りなければなりませんので、大変厳しい状況であります。また、一試合七百円のチケットを四千枚、一試合につき買わされるということで、クラブチームでは都市対抗に出ると大変なことになってしまうという現状があります。
それはJR東日本のところで折れたら、それはJR東日本にやってもらわないけませんよ、都市対抗野球まで持っておるんだから。それはもちろん、それはそれでいいと思いますけれども、やはり命、安全というのは、これは鉄道に乗る国民はすべて平等だという視点で対応願いたいと、こういうことでございます。 そして最後に、これ私は、井手相談役に岩井さん直接会っていただいて、私はあの方の責任は重いと思う。
都市対抗、高校野球、創価学会、救世教、全国的な団体というものは、今までは、私も経験があるけれども、本社で関係のところを全部集めて会議をして、それで漏れないようにきちんとやっていくものです。政府案でいくと本社がなくなってしまうわけだな。
これはなかなか有名な名ピッチャーで、昨年夏の都市対抗野球ですばらしい腕前を全国民に見せてくれた。最後には東芝に敗れて優勝はできなかったのでありますが、この木田勇君がドラフトにかけられた。彼は、そのときに広島が抽選第一で、広島に入らぬかという勧誘をされたわけですね。ところが彼の理由は、お父さんが病気で肝臓が悪くて、もう定年退職して大変苦しんでおる。お母さんももう六十歳を過ぎて病弱だ。
○米澤説明員 ただいま、いわゆる都市対抗の野球の話が出ましたので、一言申し上げたいと思います。 電電公社の平均年齢は大体二十九歳でありまして、非常に若い人が多い。これらの若い人がほんとうに仕事をやり、また士気が上がるためには、私はスポーツは大いに奨励すべきであるというふうに考えます。やはりどこかに若い人のエネルギーのはけ口を与えませんと、結局よくない。
まだもう一つ私がぜひ聞きたいと思っていたのですが、日本のスポーツ人口が一番多いのは野球ですプロ野球あるいはノンプロ、ノンプロの中でも都市対抗に出場する程度の実力を持っているのは、半ばこれはセミプロですね。私も過去においてそういう経験を持っているから多少内容を知っているのですが、大体都市対抗に出場する程度の実力ある野球チームは、年間予算一千万円以上どこでも組んでいます。
それで伊丹君は、いま六大学リーグ戦のあがりだけではとても経営していかれない——昨年のデータを私は持っておりませんけれども、一昨年のデータによりますと、神宮球場の収入、これは六大学、高校野球、都市対抗もあるのでしょうし、社会人野球もある。その収入は約百万円だそうです。ところが神宮球場の裏にある広場、あそこに八カ所の軟式球場がありまして、この賃貸料がやはり百万円以上。
そのほかにもアマチュアの社会人野球協会の連盟試合が、これは都市対抗ではありませんが、予選とか全国選抜の大会が三十二日、プロはそのほかに八十二日、合計しまして学生は百八十二日、社会人は三十二日、プロは八十日となっております。 それからなお第二球場ができまして、先刻来お話がありましたように、これは学生の専用球場であります。
都市対抗の野球がなぜあれだけ強くなったか、ああやってお互いに団体なり自分の所属する府県なり学校なりの名誉にかけて大いにエキサイトしたゲームをやらせることによって根性ができるわけですね。
従って夏の都市対抗は非常に盛んであるというので、新聞紙上はニュースとしてこれを取り上げております。そのニュースが非常に大きく取り扱われております。その結果が会社の宣伝になる。宣伝の目的をもって野球をやっているのではございませんが、結果として宣伝になっておる。それで宣伝が悪いと申されながら、その利害の力によって、新聞社の方でそれはいけないといって書がないと、宣伝にならない。
特に今高等学校の野球、それから都市対抗、その他非常にアマ・スポーツが普及しておりますが、先ほど赤嶺さんが言われたように職業野球も非常に発達して、戦後これほど日本に普及されたことはないと思うのです。そこでお尋ねするのですが、桜井君の問題を中心にしてアマチュア・スポーツ、いわゆる学生野球の中にも引き抜きがあるんじゃないか。
○川崎(秀)委員 ただいまのお言葉だと、大体私もその期間は推察するのですが、実際は大昭和製紙でもどこのチームでも、夏の都市対抗野球ということが一つの山だと思うのです。それが目標なんです。それまでに多少形式的でも謹慎の意を表したら解除されるということならば、何にも意味ないわけですね。大体夏の大会には出場は禁止されるものと常識的に考えてもよろしゅうございますか。
そこで丁度八月の若し記憶に誤りがないとするならば七日頃、例の都市対抗の野球で出て来られた、その旨私に通じてそれならば出掛けようというので、佐藤氏の主催した宴会に臨んだわけです。
○証人(吉武辰雄君) えーと七日から確か都市対抗が始つたと思いますから、そして一回戦で敗れて帰つたのですから、確か八月十日前後だと思います。
たまたま都市対抗で来られたものですから、吉武さんに若し暇があつたら一回席を設けたいという話をした。それを吉武さんに通じて、それで日野さんも私も行つて、絹川氏も来られておるから、どうです食事をしませんかということで、四人で八百松に行つて食事をしたことがあります。